海外の反応まとめ

コラムアニメ

subかdubか。海外ファンが今夜も字幕と吹き替えで揉めている理由

Sub vs Dub: The Forever War, as Watched from Japan

海外の反応まとめ編集部

subかdubか。海外ファンが今夜も字幕と吹き替えで揉めている理由
正反対な君と僕のレビュー動画コメント欄・👍719
「吹き替えを見てるのはお前らの10%だ」 そうだよ、俺はその10%の一員なんだよ!!

海外のコメント欄を毎日訳していると、作品がなんであれ必ず出くわす揉め事がある。subかdubか。日本語音声に字幕を付けて観るか、自分の国の言葉に吹き替えた版で観るか。今夜もどこかのコメント欄で誰かが言い争っていて、もう何年も続いていて、たぶんこれからも終わらない。日本にいる僕らにはいまいちピンとこないこの論争、毎日眺めている側から中身を話したい。

意味の分からない言語を、わざわざ選んで聴いている人たち

先に言葉の整理だけ。subはsubtitlesの略で、日本語音声のまま自国語の字幕で観るスタイル。dubはdubbingの略で、英語なりスペイン語なりに吹き替えた音声で観るスタイルのこと。海外の配信サービスはたいてい両方を用意していて、どちらで再生するかは視聴者が選ぶ。ここまでは事情の説明。面白いのはここからで。

sub派が聴いているのは、彼らにとって一語も分からない外国語だ。それをあえて選んでいる。僕らが洋画を字幕で観るのと同じと言えば同じなんだけど、立場を入れ替えて想像すると、なかなかすごい話だと思う。自分の母語が、海の向こうで外国語として毎晩再生されていて、しかもそっちで観るほうが通だという空気まである。コメント欄でこの論争を見かけるたび、当事者でもないのに少しそわそわする。取り合いになってるのが日本語なので。

sub派の言い分は、敬意と、ちょっとのマウント

sub派がまず挙げるのは、オリジナルの演技で観たいという理由だ。アニメは日本語の台詞に合わせて口の動きも間も作られているから、制作者が意図した音で観るのが作品への敬意だという考え方。意味は分からなくても感情の温度や叫びの迫力は伝わる、日本の声優の演技そのものが好きなんだ、という声も本当によく見る。日本では声優がスターで、声優個人にファンが付いて、この声優が出てるから観るという選び方が成立する。ああいう文化は英語圏にはあまり無くて、sub派のこだわりの奥には、その日本独特の声優文化への憧れが混ざっているようにも見える。

黄泉のツガイのPVコメント欄・👍13
原語(日本語)の方が100万倍いい

ただ正直に言うと、sub派の言い分にはそっちのほうが通っぽいという文化的なマウントが混ざりがちで。dubで観る人を初心者扱いする物言いは、昔からこの論争の火種になってきた。冒頭に掲げた絶叫は、ずっと少数派として雑に扱われてきた側の魂の叫びだ。あのコメントを拾った夜は選定の手が止まった。好きすぎて。

dub派にとって吹き替えは、妥協じゃなくて生活

対するdub派の理由は実用的だ。字幕を追い続けるのは疲れるし、目が文字に行っている間は絵を見られない。作画が売りのアクションシーンなんて特にそうで、いちばん動いてる瞬間に画面の下を読んでるのはもったいない。家事をしながら、ゲームをしながら音声で追うながら見が向こうでも当たり前になっていて、字幕前提のsubはこれと致命的に相性が悪い。読字がしんどい人にとっては、吹き替えが実質的に唯一の選択肢だという事情もある。

つまりdub派にとって吹き替えは妥協ではなく、アニメを生活に組み込むための合理的な選択で。じっくり向き合う鑑賞としてのアニメと、日常の娯楽としてのアニメ。観方そのものが違う二つの派閥が同じ土俵で殴り合ってるんだから、そりゃ噛み合わない。

昔のdubは本当にひどかったらしい、という歴史

この論争がここまで根深いのには、歴史があると言われている。海外でアニメがテレビ放送され始めた時代の吹き替えは、予算も体制も限られていて、演技や翻訳の質のばらつきが大きかった。台詞や設定が丸ごと変えられた例もあって、吹き替え版は本来の作品とは別物だという不信感が古参ファンに根付いた。この時代の話は、今でもコメント欄で語り草になっているのをよく見る。sub派のオリジナル信仰は、あの記憶の上に建っている。

でも最近は状況がだいぶ変わった。配信でアニメの市場が伸びて吹き替えの制作体制も充実して、英語圏の吹き替え声優の演技を褒めるコメントを見かける機会は明らかに増えた。たとえば正反対な君と僕の英語吹き替えは、こんな褒められ方をしてた。

正反対な君と僕のレビュー動画コメント欄・👍822
高校が舞台の作品で高校生スラングを喋らせる、これぞ至高の吹き替えだ

翻訳が原作の空気をむしろ増幅してくる、という褒め方だ。今のdubは昔とは別物だという認識は若い世代を中心に広がっている。それでも論争が終わらないのは、品質の問題がとっくに本質じゃなくなって、どう観るかというアイデンティティの問題に変わってるからだと思う。

実はこの論争、僕らだけが答え合わせできる

そして日本からしか見えにくい論点がひとつある。字幕の質だ。sub派は原音で観ているつもりでも、意味を受け取っているのは翻訳された字幕からで。その翻訳が意訳しすぎじゃないか、ニュアンスを取りこぼしてないかという議論は、海外で繰り返し起きている。敬語、一人称の使い分け、駄洒落。日本語特有の表現は翻訳者泣かせで、同じ台詞でも配信サービスによって訳が違うことは珍しくない。subなら原文に忠実、という前提は実はそれほど単純じゃない。

リゼロ4期の神回のコメント欄には、こんな検証班もいた。

リゼロ4期11話・公式動画のコメント欄・👍124
英語吹替だとここ「今回は違う」って言ってる。スバルの新たな決意がより明確に伝わるセリフだ

音声と字幕と吹き替えを突き合わせて、どの訳がいちばんスバルの決意を伝えるかを議論してる。ここまで来るともう研究で、頭が下がる。そしてこういうコメントを見るたびに思う。日本語ネイティブの僕らは、この論争で唯一答え合わせができる立場にいる。原文と訳文の間で何が起きたかが、僕らだけ両側から見える。毎日翻訳をやってる身としては、字幕班の苦労のほうについ肩入れしたくなるけど。

揉めてること自体が、たぶん一番の娯楽

で、結局どっちが正しいのか。毎日この論争を眺めてきた側の結論は、決着がつかないこと自体に意味がある、だ。作品への愛の示し方が人によって違うというだけの話で、初対面のファン同士が一瞬で盛り上がれる共通の話題として、この論争はコミュニティの潤滑油みたいに機能してきた。本気の言い合いに見えて、多くは様式化されたじゃれ合いに近い。プロレスと言ってもいい。

当サイトのまとめでも、subとdubの話はコメント欄の定番中の定番だ。次に海外の反応を読むとき、この人は日本語音声で観てるのか、吹き替えで観てるのかを想像しながら読んでみてほしい。同じコメントの温度が、少しだけ違って見えてくるから。

シェアXLINE

ほかの反応も読む