海外の反応まとめ
コラムアニメ海外の反応まとめ編集部

海外の反応はなぜ大喜利になるのか。日本と海外、コメント欄の国民性

I Read Both Comment Sections Every Night. Yours Is Louder.

海外の反応はなぜ大喜利になるのか。日本と海外、コメント欄の国民性
なんで俺たちは今、肺の強さで格付けバトルしてるんだ
ヤニねこvs範馬勇次郎の肺活量比較動画・英語圏コメント欄・👍57112

僕の毎晩は、二つの部屋の行き来でできている。英語のコメント欄と、日本語のコメント欄。同じアニメ、同じゲーム、なんなら同じ動画を観ているのに、ドアを開けた瞬間の空気がまるで違う。数千件を読んで訳す作業を毎晩続けていると、この違いは個人差なんかじゃなくて、部屋の文化としか言いようがなくなってくる。今日は海外の反応を毎日訳している側から見えた、二つの部屋の性格の話をしたい。

海外のコメント欄は、大喜利会場だと思って読むとだいたい合ってる

英語圏のYouTubeコメント欄には、はっきりした競技性がある。上に来るのは丁寧な感想ではなく、いちばんウケた一言。ソロレベリングの水篠旬と蟻王の戦闘クリップで頂点を取ったコメントは、作画の話でも展開の話でもなく、これだった。

この壮絶なバトルを撮影したあと、カメラマンはS級に昇格した
ソロレベリング水篠旬vs蟻王戦クリップ・英語圏コメント欄・👍55554

5万5000人がいいねを押して、本編の感想を全部押しのけた。カメラマン構文は英語圏の定番ネタで、作画がすごい回ほど、命懸けで撮影した架空のカメラマンが讃えられる。つまりあそこは感想を書く場というより、動画をお題にした大喜利のステージで、座布団の代わりにいいねが積まれていく。選定作業のはずが普通に声を出して笑ってしまう夜があって、僕の仕事はたびたびこの大喜利に妨害されている。

日本のコメント欄は、友達の部屋のこたつ

同じYouTubeでも、日本語の部屋は勝ちに行く場所じゃない。隣で一緒に画面を観ている友達の部屋に近い。まず文が短い。めっちゃカメレオンという日本発のかくれんぼパーティーゲームが世界的にバズったとき、隠れるのをやめて鬼から逃げ回る猛者のクリップに日本のファンが付けた頂点のコメントが、これだった。

ゲームの趣旨かわってて草
めっちゃカメレオン回避勢クリップ・日本語コメント欄・👍6383

12文字で全部伝わっている。日本語コメント欄の主成分は実況とツッコミで、そこに独特の整理癖が乗る。この動画では、カメレオン勢とかくれんぼ勢に続いて新規の回避勢が誕生したと、派閥の名簿を作り始める人まで現れていた。この短さと実況のノリは、画面の上をコメントが流れていくニコニコ動画の文化で育った人が多いせいもあると思っている。あとから長文で語るより、その瞬間に一言を置いていく。だから日本語のコメント欄は、読むというより、みんなの声が聞こえてくる感覚に近い。訳す側として白状すると、いちばん手強いのはいつも草だ。lolと置くと軽すぎるし、真面目に説明した瞬間に面白さが死ぬ。毎晩どこかで、僕は草の前に立ち止まっている。

同じゲームなのに、怒り方まで違った

この性格の違いが一番くっきり出たのが、同じめっちゃカメレオンだった。日本語の部屋では上のとおり、ルール無視の猛者すらボケとツッコミで愛でられている。ところが英語圏の部屋で、ある配信者に自動お絵描きツールを使ったチート疑惑が持ち上がったとき、7万7000いいねで頂点を取ったのはこの長文だった。

かくれんぼゲームでチートするのって、今まで見た中で一番の『外で日光浴びてこい』案件だと思う
めっちゃカメレオンAIチート騒動動画・英語圏コメント欄・👍77049

外に出て芝生に触れという言い回しは、ネットにへばりつきすぎた人間へ向けた英語圏の定番の悪口で、そこにシャワーを浴びろまで足してフルスイングで殴りに行っている。賞金もランキングも無いかくれんぼで、なぜチートをするのか。その空虚さへの怒りが、洗練されたローストの型に流し込まれていく様子は読んでいて壮観だった。日本語の部屋なら、たぶんチートで草の5文字で終わっていた場面だと思う。笑い方だけじゃなく、怒り方にまで文化が出る。ちなみにこのコメント、日本語に訳したら温度が二割ほど下がってしまった。原文の圧は原文でしか出ない。

絶叫で泣く文化と、(泣)で泣く文化

泣き方も違う。英語圏は感情のボリュームを最大にして書く文化で、大文字固定で絶叫し、泣き顔の絵文字を連打する。鬼滅の刃の無限城編の公式予告では、この日まで生きて見届けられなかったファンたちへ追悼を捧げるコメントに、8万7000のいいねが積まれていた。お葬式の形を借りたお祭りというか、ああいう感情の祝祭の起こし方は英語圏の真骨頂だと思う。

日本語の部屋は逆で、感情が大きくなるほど文字数が減っていく。崩壊スターレイルのキャストリスという、触れた相手に死をもたらしてしまう少女の過去が明かされた動画では、やめてくれ死ぬという7文字の崩れ落ち方や、最後の演出に笑ったと言いつつ文末に泣きの一文字をそっと添える書き方が並んでいた。絶叫の代わりに、小さく置かれる(泣)。どちらが深く観ているかという話ではまったくなくて、増幅して伝える文化と、削って伝える文化の違いだ。翻訳という仕事は、結局この音量差の調整をやっている。大文字の絶叫をそのままの音量で日本語にすると嘘くさくなるし、文末の(泣)を素直に英語へ運ぶと、ただの弱い泣き言に見えてしまう。毎晩やっているのは言葉の置き換えというより、部屋と部屋の間の防音扉を少しだけ開ける作業に近い。

部屋は二つ、観てるものは一つ

毎晩ハシゴしていてつくづく思うのは、二つの部屋の根っこが同じだということ。大喜利も草も、追悼の祝祭も文末の(泣)も、好きが溢れたときの出方が違うだけで、溢れている量は変わらない。冒頭に掲げた肺の格付けへの絶叫だって、ヤニねこの喫煙描写と刃牙の範馬勇次郎を並べた比較動画が640万再生も回ってしまった末の、愛の変な噴き出し方だし。

このサイトは日本語の面で海外の反応を、英語の面で日本の反応を、毎日それぞれの部屋へ運んでいる。つまり僕は、二つの部屋の間で回覧板を回している係だ。次にまとめを読むときは、コメントの中身と一緒に、その部屋の空気も少しだけ味わってみてほしい。届けたいのは訳した言葉そのものというより、あっちの部屋の温度のほうなので。

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